ラジオと音楽

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ジャズ・トゥナイト 2020年2月22日(ビリー・ホリデイ)

 

シリーズJAZZジャイアンツ (11)ビリー・ホリデイ

ビリー・ホリデイは1915年4月7日ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。10代の両親の元にアフリカ系アメリカ人として生まれ、人種差別、貧困、戦争、ドラッグ、恋愛様々なものに翻弄された数奇な人生。ジャズ史の中で伝説として語り継がれています。亡くなったのは1959年7月17日。44歳でした。

私も大橋巨泉さんが訳された「奇妙な果実 ビリー・ホリデイ自伝」を読みました。今では信じられない人種差別があった時代で、とても悲しい気持ちになりました。

奇妙な果実?ビリー・ホリデイ自伝 (晶文社クラシックス)

奇妙な果実?ビリー・ホリデイ自伝 (晶文社クラシックス)

 

 今日はビリー・ホリデイの壮絶な人生紹介よりは、歌や音楽に注目した特集で23曲もかかりました。 

 

Billie HolidayBenny Goodman & His Orchestra「Your Mother's Son-In-Law」

1928年に母親と共にニューヨークへ移り住み、ナイトクラブに出入りするようになります。貧しい生活の苦労して歌を歌い、1933年11月27日18歳の時にコロンビア・レコードのプロデューサ、ジョン・ハモンドに才能を見出されクラリネット奏者ベニー・グッドマンとのセッションで初のレコーディングをします。

 

Billie Holiday、Teddy Wilson & His Orchestra「What A Little Moonlight Can Do」

1935年ピアニストのテディ・ウィルソン名義のオールスター・セッションでの録音。

 

Billie Holiday、Teddy Wilson & His Orchestra「I Cried For You」

1936年同じくテディ・ウィルソン名義の録音。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「Summertime」

ビリー・ホリデイの初リーダー・セッション。1936年7月の録音。

 

Billie Holiday、Teddy Wilson & His Orchestra「I Can't Give You Anything But Love」

原曲のメロディを変えて自由に歌った演奏。当時としては珍しいそうです。

 

Billie Holiday、Teddy Wilson & His Orchestra「I Must Have That Man」

レスター・ヤング(1909年生まれ)とビリー・ホリデイの共演。二人は深い愛で結ばれていたということです。1937年1月テディ・ウィルソンのセッションでカウント・ベイシー楽団のメンバーと一緒に録音をします。その当時カウント・ベイシー楽団にいたのがレスター・ヤング。お互い自分のように歌うと言っていたそうです。二人とも抑制した感じで歌う。声や楽器を張らずに歌う、鳴らすところと大友さんの解説。

 

この後、ビリー・ホリデイカウント・ベイシー楽団に加わります。自伝によると楽団での生活はギャラが安く、移動移動の毎日で酷いものだったと回想されています。またこの頃ジャズ・ギタリストであったお父さんがツアー中に南部で肺炎になり亡くなります。黒人差別がきつい時代で病気でも病院で診てもらえず、放っておかれて病気がひどくなって亡くなってしまったそうです。ビリーにはこのお父さんの死がかなりショックで、後々歌に影響が出てきます。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「Me,Myself And I」

1937年6月の録音。テナー・サックスはレスター・ヤング

 

 

Billie Holiday、Teddy Wilson & His Orchestra「When You're Smiling」

1938年1月の録音。この曲もテナー・サックスはレスター・ヤング

「あなたが微笑めば世界中が一緒に微笑む、あなたが笑えば太陽も昇り輝く」

 

 

この後、ビリー・ホリデイカウント・ベイシー楽団を脱退します。そして白人のクラリネット奏者アーティ・ショウの楽団に入ります。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「The Man I Love」

1939年12月ビリー自身のセッション。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「All Of Me」

1941年3月ピアニストのエディ・ヘイウッドとのセッション。

 

この後、ビリー・ホリデイレスター・ヤングは不仲になります。ビリーはドラッグやアルコールで刑務所に何度も入るような生活だったのが原因のようです。1954年のニューポート・ジャズフェスティバルで仲直りをしたと言われています。

 

Billie Holiday、ft Her All Star Band「Fine And Mellow」

1957年12月TV番組「ザ・サウンド・オブ・ジャズ」でビリーとレスターは共演しています。この曲の作詞・作曲はビリー・ホリデイです。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「Billie's Blues」

1936年7月ビリー自身が作詞・作曲した曲。アーティ・ショウはこの時のビリーの演奏を聴いて感動して自身のバンドに誘ったそうです。ビリーは「アーティ・ショウほど音楽界の俗物や下劣な人たちと抵抗し戦い続けた人はいない」と言っています。アーティ・ショウは黒人差別に対しておかしい(ビリーは黒人の中でも色が白い方なのでもっと黒く塗ってステージに出ろという主催者に対して反論するなど)と言った人らしいです。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「Strange Fruit」

ビリーの代表曲。1939年カフェ・ソサエティという色んなアーティスト、詩人、音楽家が集まってきた白人も黒人も一緒になって集まっていた場所。オーナーのバーニー・ジョセフソンは人種の偏見のない、本当にいいものを聴こうとするお客様が来る店というコンセプトを掲げていて、リベラルな文化人やアーティストたちで賑わっていたそうです。作者の ルイス・アレンはこの場所でオリジナルの詞をビリーに見せて曲をつけて歌って欲しいと話したそうです。黒人の人種差別を告発するプロテスト・ソング。リンチにあって虐殺され木に吊り下げられた黒人の死体が腐敗して崩れていく情景を描写しています。理不尽な理由で亡くなった父親の姿をこの詞に重ねたと言います。

大手のレコード会社はこの曲の録音を拒否。1938年に設立された初めてのジャズ専門レーベルコモドアによって(今でいうインディーズ・レーベル)1939年4月に録音されます。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「God Bless The Child」

1941年のヒット作。ジャズのスタンダード・ナンバー。ビリーとアーサー・ハーツォグ・ジュニアの共作となっていますが、ビリーは母親との喧嘩から生まれた曲と言っていたそうです。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「Lover Man(Oh,Where Can You Be?)」

1944年10月デッカでの初録音でヒットした曲。1942年の第二次世界大戦中に当時入隊していた無名の作詞家がビリーに贈った詞にジミー・シャーマンとラム・ラミレスに頼んで曲をつけてもらったそうです。黒人歌手のバックにストリングスが入っていることはなかったそうです。

 

Billie Holiday & Her Orchestra「Don't Explain」

1945年8月当時ビリーが結婚していた夫ジミー・モンローの浮気を歌にした曲。

 

1940年代後半ビリーは麻薬によって刑務所を出たり入ったりします。ニューヨークでのクラブの演奏許可証も取り上げられてしまい、生活にも困る状況となります。1949年半ばから再び精力的にレコーディングを開始します。

Billie Holiday「'Tain't Nobody's Business If I Do」

1949年8月からビリー・ホリデイが最も敬愛する歌手ベッシー・スミスの初期と最後のレコーディングに焦点をあてた企画を実現させます。黒人に自由のない時代に自由への渇望を歌った曲。

 

Billie HolidayLouis Armstrong「My Sweet Hunk O'Trash」

1949年9月ベッシーと並んで憧れの人だったルイ・アームストロングとの共演を果たします。ルイとの息のあったデュエット曲。

 

Billie Holiday「Crazy He Calls Me」

1949年10月に録音された甘い恋の歌。

 

Billie Holiday「These Foolish Things」

小編成コンボによるリラックスした1952年の録音。オスカー・ピーターソンとの共演。

 

Billie Holiday、Tony Scott & His Orchestra「Lady Sings The Blues」

1956年(ビリー・ホリデイ40代)に冒頭紹介した「Lady Sings The Blues(邦題:

奇妙な果実)」という自伝を発表します。メディアに注目され新たな光があたるようになります。この出版を記念した同名のアルバムに収録されているタイトル曲。

 

Billie Holiday、Ray Ellis & His Orchestra「I'm A Fool To Want You」

ビリー・ホリデイ存命中最後のアルバムとなった1958年2月録音『Lady In Satin』。ビリーはこの時かなり衰弱していたそうです。この曲の録音を聴いてビリーは涙を流したそうです。この声の変わりようが悲しいのですが、この歌い方もいいんですよね。

 

Billie Holiday、Ray Ellis & His Orchestra「Baby Won't You Please Come Home」

最後の録音の曲。1959年3月11日がラスト・レコーディング。この4日後に最愛のソウル・メイトであるレスター・ヤングが亡くなります。そしてこの4ヶ月後の7月17日にビリーも亡くなります。

 

 

 

TOKYO FMで2月23日(日)放送の『村上RADIO』は「ジャズが苦手な人のためのジャズ・ヴォーカル特集」でした。村上春樹さんも

僕がいちばん素晴らしいと思うジャズ歌手は、常に変わることなくビリー・ホリデイです。

と仰っています。