ラジオと音楽

ラジオから知った音楽のこと書いていきます

ウィークエンドサンシャイン 2019年10月12日

 

 

ジンジャー・ベイカーGinger Baker)追悼特集

 

10月6日に80歳で亡くなったジンジャー・ベイカーGinger Baker)の追悼でした。

 

べらんめえ調でかなり口が悪い人という印象がバラカンさんはあるそうですが、私もそんな印象です。ドラムの上手い職人堅気だけど人付き合いは上手くないみたいなイメージですね。

 

ジンジャー・ベイカーは労働者階級の出身。1939年第二次世界大戦が始まる年ロンドンの南側のルイシャムというところで生まれます。お父さんは建設現場でレンガを積む仕事をしていましたが、戦時中のジンジャーが4歳の時に亡くなってしまいます。

ちなみにジンジャーという名前は、男性でも女性でも赤毛の人がニックネームで呼ばれるそうで、本名はピーターだそうです。

自転車の選手としてツールドフランスに参加するのが夢だったそうで、真剣に自転車の練習をしていたそうです。背が高くて、細いので自転車に向くタイプだったそうです。しかし、1956年の雨の日16歳のジンジャーはタクシーとぶつかって自転車はグチャグチャ、彼も怪我をしました。その後自転車はやめてしまって、ある時パーティで友達に勧められてドラムをちょっと叩いてみたら、いきなりなのにベース・ドラムからシンバルからハイハットから全部自然にできたそうです。それからドラムをやり始めて1年以内にプロとして当時イギリスで流行っていたトラッド・ジャズ(ニューオリンズ・スタイルのジャズ)のバンドで演奏していたそうです。同時にモダン・ジャズの影響もかなり受けていてマックス・ローチMax Roach)とかエルヴィン・ジョーンズElvin Jones)など先進的な活動をしていた人たちの影響を受けたそうです。

1960年代初頭R&Bがイギリスで流行っているという程ではなかったそうですが、アレクシス・コーナー(Alexis Korner)という人がロンドンの西側のイーリングというところでブルーズ・クラブをやっていました。メンバーはしょっちゅう変わっていたそうで、ジンジャーがある時ドラマーとなるそうです。その時の他のメンバーは、キーボード:グレアム・ボンド(Graham・Bond)、ベース:ジャック・ブルースJack Bruce)、テナーサックス:ディック・ヘクストール・スミス(Dick Heckstall-Smith)です。

 ジンジャーの前のドラマーは、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)だったそうです。ミック・ジャガーMick Jagger)が見に来たこともあるそうで、その時ジンジャーとブルースはわざと複雑なジャズのフレーズをやってミックをビビらせたそうです。

 

Alexis Korner「Rockin」

 

アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド(紙ジャケット仕様)

アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレイテッド(紙ジャケット仕様)

 

 

次も同じメンバー、グレアム・ボンド、ジャック・ブルース、ディック・ヘクストール・スミスと一緒にグレアム・ボンド・オーガニゼーション(Graham Bond Organisation)というグループを新たに組みます。これはR&Bバンドで、1965年に2枚アルバムを出します。

 

Graham Bond Organisation「Spanish Blues」

R&Bバンドですがジャズ寄りのバンドで、ジンジャーのドラムもスイング感があります。 

SOUND OF '65 / THERE'S A BOND BETWEEN US

SOUND OF '65 / THERE'S A BOND BETWEEN US

 

  

Graham Bond Organisation「Camels and Elephants

 2作目のアルバムから唯一ジンジャーが作曲した曲。

 

There is a Bond Between us by Graham Bond Organisation (2008-05-13)

There is a Bond Between us by Graham Bond Organisation (2008-05-13)

 

 

グレアム・ボンド・オーガニゼーションは音楽は素晴らしいが色々と問題を抱えるバンドだったそうです。グレアム・ボンドというリーダーは、ヘロイン中毒だったそうです。ジンジャー・ベイカーもそうでした。

グレアム・ボンドは中毒の度合いが特に酷く、途中でグループのリーダー役を務めることができなくなり、ジンジャー・ベイカーが実質的にこのグループのリーダとなったそうです。

ジンジャーとベースのジャック・ブルースは、音楽的な愛称はいいけども、人間的に喧嘩が多く、ある時演奏中にジンジャー・ベイカージャック・ブルースの頭をドラムスティックで叩いて、演奏中に殴り合いの喧嘩になってしまうようなことがあったそうです。それで、ジンジャーがリーダーになった時に、ジャック・ブルースをクビにしてしまったそうです。

その少し後1966年初頭に、エリック・クラプトンとセッションをやります。エリック・クラプトンジョン・メイオール・ブルースブレイカーズを離れようとしている時です。ジンジャー・ベイカーエリック・クラプトンを誘ってグループを作ろうと言います。エリック・クラプトンは「いいよ、やろう」と言うのですが、ベースにジャック・ブルースを入れようと提案するそうです。エリック・クラプトンジンジャー・ベイカージャック・ブルースの演奏を前に見ていいて、相性がすごくいいと思っていたそうです。エリックがそう言うので、ジンジャーも仕方ないと思ったのでしょう。エリック、ジンジャー、ジャック・ブルースの3人でクリーム(Cream)が出来ます。

 

 

Cream「Tales of Brave Ulysses」

エリック・クラプトンとマーティン・シャープ(Martin Sharp)の作曲。

クリームはジャック・ブルースとピート・ブラウン(Pete Brown)の作曲の曲が多いです。

 

カラフル・クリーム

カラフル・クリーム

 

 

 ジンジャー・ベイカーはクリームではベース・ドラムを2つ使って、とにかく音が大きい。ヘビー・ロックのような感じがあるのですが、本人は「俺はロックなんかやったことがない。クリームはジャズ・ミュージシャン二人にブルーズのエリック・クラプトンを加えて殆どの即興で演っていた。二日連続で同じ演奏をしたことはない。」と言っていたそうです。

 

Cream「Sunshine Of Your Love

この曲はリズムが全然定まらなくて、スタジオのテレビで放映されたいた西部劇からヒントを得て、インディアンのリズムで演ってみたそうです。ジンジャー・ベイカーの役割が大きな曲です。

 

「クリームがヘビー・メタルの生みの親だと言う人がいるけど、もしそうだったら中絶した方が良かった」とジンジャー・ベイカーは言っていたそうです。それくらい彼はジャズを演っているつもりだったそうです。

ジンジャーとジャック・ブルースの不仲は続きます。クリームでは、ジャック・ブルースとピート・ブラウンの曲が多くて、ジンジャーはもっと作曲のクレジットも与えられて当たり前だと思っていたそうです。作曲印税をもらえなかったことに関しては一生許さないと言っていたそうです・・一度ジンジャーにクビにされたジャック・ブルースは今度はジンジャーをクビにしようとしたそうです・・とにかく3人の仲がよくなかったようで結局2年くらいしか持たなかったそうです。1968年にロイヤル・アルバートホールでさよならコンサートを演って、その翌年にエリック・クラプトンがスティーブ・ウィンウッドを誘ってブラインド・フェイス(Blind Faith)というバンドを作ります。

最初のリハーサルの時に招かれもしないジンジャー・ベイカーが現れて俺も混ぜてくれと言って現れたそうです。スティーブ・ウィンウッドはドラムが上手だからと喜んでいたようですが、クラプトンは「う〜ん」と言う感じだったそうです。ジンジャーの性格だったのか、ドラッグの問題だったのか。ブラインド・フェイスも1年で解散となります。

 

Blind Faith「Had To Cry Today」

このドラムいいですね。

 

スーパー・ジャイアンツ

スーパー・ジャイアンツ

 

 

ジンジャー・ベイカーはヘロインを29回やめていると本人が発言しているそうです。

そのうちの一つがジミ・ヘンドリックスが亡くなった日だったそうです。1970年9月。

彼もドラッグを打ちすぎて、死にそうになったそうで・・80歳まで生きられたのはすごいなぁと思います。

 

クラプトンはFacebookにジンジャーへの追悼で2005年5月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行ったクリーム再結成ライヴの映像を載せています。ジャック・ブルースも2014年に亡くなってしまっています。寂しいですね。

 

【お礼】10,000アクセス突破

いつも当ブログを読んでくださり、ありがとうございます。

 

6月から開始しました当ブログですが、10,000アクセスを頂きました。

ありがとうございます。

これからもラジオから知る音楽を紹介させて頂きたいと思っております。

 

これまでにない大きさと強さの台風19号が迫ってきています。

私は仕事柄出勤なのですが、皆様十分お気をつけください。

「自分だけは大丈夫」と思わないことだと思います。

警戒して損はありません。

 

ワールドロックナウ 2019年10月6日

 

新譜紹介

 

The Lumineers「III」

III

III

  • アーティスト: ザ・ルミニアーズ,ウェズリー・シュルツ,ジェレマイア・フライテス
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2019/09/13
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る
 

 なかなか大変な作品で渋谷さんもどう紹介しようか悩まれたそうです。

 10曲全部にビデオクリップがあり、映画みたいになっています。

スパークス一家の3代を描いた悲劇的な物語。3代のそれぞれの登場人物たちのそれぞれの物語がこの歌の中で描かれています。

 

チャプター1にグロリア・スパークスというスパークス・ファミリーの最初の登場人物が描かれます。1曲目の「ドナ」という曲はお婆さんのこと。子供達が7人もいて一見幸せそうな家庭を築いていますが、実はアルコール依存であり、その中で7人の子供で心の闇を抱えている一人がグロリア。グロリアは自立して実家から出てニューヨークで暮らし始めますが、色々あって、母親と同じようにアルコール依存になって、結局彼女自身もものすごく困難な現実と向き合わなければいけなくなります。

映像の一番最後、彼女はアルコール依存で酔っ払って酒瓶を投げると夫にガツンと当たって、夫が頭から血を流して、これは大変だということで、夫を車に乗せて彼女は医者まで走ります。医者に走る道すがらトラックにぶつかって大惨事になって、夫は意識を失って血を流して、その恐ろしさに耐えかねてグロリアは車から出て逃げて走って行ってしまいます。

 

(訳詞)

グロリア、あなたの息から漂ってくる酒とペパーミントの匂いが

グロリア、誰も言ってくれなかったね、もう十分だと

グロリア、あなたは自分を責め続けた

グロリア、僕らは座って見ているしかなかった

グロリア、誰も言ってくれなかったね、もう十分だと

天よ、助けてくれ、道を示してくれ、この2本の足でまた立ち上がれるように

ベッドで横になったまま祈ろう

あなたが僕のせいで眠れなくなることがないように

毎晩眠れない、毎日孤立している

この2本の足で再び立ち上がらせてくれ

ベッドで横になったまま祈ろう

あなたが僕のせいで眠れなくなることがないように

グロリア、決めてくれないか

グロリア、もっと簡単に死ねる方法はいくつもある

グロリア、もう十分じゃないか

 

Gloria

 

 

続いてチャプター2の曲。ジュニア・スパークスというドナの孫の話。孫のジュニアは男の子で愛する女性に裏切られ、自分自身のアイデンティティを崩壊させてしまった非常に不幸な人生を歩んでいます。お母さんがやはりアルコール依存で、男を作って出て行ってしまうという境遇の中にあって、レフト・フォー・デンバー(Left for Denver)という曲は、「母親が自分を置いてデンバーに行ってしまった、どうしてなんだろう?」という思いを歌っています。

 

(訳詞)

いつ頃だったか、あの時、あなたは18歳だった

あなたは通りを横切っていた

足を組んで座っていた

少しばかり世間の冷たさに触れた

何もかも壊れつつあった

いつの頃だったか、あの時あなたは8年生だった

あなたは自転車をハイスクールに持ってきた

ゲータレードにアルコールを混ぜていた

何もかも週末のため

何もかもそれで壊れつつあった

あなたに諦めてしまえば楽になるとは言わなかった

みんなが笑ったのは、他の誰よりもあなたが踏ん張っていたから

なぜ出て行った?

何時いなくなった?

どうしてデンバーへ行ってしまったの?

私の知らない何を知っていた?

私の知らない何を

一人、二人、それとも三人の子供がいるの?

今はきっとアイラインを引く時間も限られている

何もかも相変わらず週末のため?

何もかも今も壊れつつあるの

 

Left for Denver

 

 

続いてチャプター3は、ジミー・スパークスというジュニアのお父さんの話。グロリアの兄弟。ジュニアのお母さん、つまりジミーの奥さんはアルコール依存症のまま出て行ってしまい、結局ジミーはジュニアを父親一人で育てていきます。

父親もすごく暴力的な形でジュニアに対して抑圧的に接して、やっぱりアルコール依存症で家庭は完全に崩壊してしまって、ジュニアそのものも家を出てしまって、ジミーは孤独、一人生きています。10曲目の「Salt and the Sea」という曲でこの物語りの結末が描かれます。

ドナの孫であるジュニアは出ていき、ジミーが一人で非常にすさんだ生活をしている。そこにジュニアが帰ってくる。お父さんのジミーは酒に呑んだくれて如何しようもない状態。荒れた生活をしている。

色々あって、お父さんが怪我をしてしまって、グロリアと同じようなシチュエーションになります。ジュニアがお父さんを連れて車に乗って病院に連れていきます。一生懸命、車に乗って病院に連れて行って助けようとしますが、また事故に会ってしまいます。お父さんが犯罪をやっている匂いもあるのですが、お父さんがジュニアに向かってこの事故で警察が来るとまずいこともあるからお前は一人で車から出て行けと言って、お父さんが瀕死の状態で車に残されたまま、ジュニアは泣きながら走って逃げていくというシチュエーションで、非常に重くて暗い物語が終わります。

つまりチャプター1と非常にリンクしていくわけです。

「Salt and the Sea」というのは、ジュニアからジミーに、自分の荒れた父親に向けて現在を歌っている曲です。

 

(訳詞)

もしかして、あなたが夜更けに抱きしめていたのは僕だったのか

裏階段で、あなたは涙を浮かべて膝から崩れ落ちた

苦しみも、病も、一つ残らず

何も隠せなかったね、僕には隠せなかったね

部屋に籠って怯えている

でも、家には本当に誰もいないのか

あなたはベッドに横たわって、どうかこのままそっとしておいてと祈っていた

僕の体を丸ごと暗闇に飲み込ませてしまおう

あなたを見つけ出したい

知ってほしい

友達になれるよ

陽の光の中でもう一度

僕らは一緒だ

まるで旧知の敵のように

塩と海のように

 

Salt and the Sea

 

トータルでビデオクリップを見るとすごくズシンときます。この物語は自分に置き換えてもすごく分かるところがあり、色んなことを思います。

血縁という運命、逃げても逃げきれない。怖くても受け入れて解決しなければ苦しみは続くこと。

この物語はヴォーカルのウェスレイ・シュルツ(Wesley Schultz)のパーソナルな経験と密接に関わっているそうです。

渋谷さんに紹介してもらって本当に良かったです。

 

ボーナス・トラックで現在の民主主義に対するすごく批判的なメッセージを歌ったレナード・コーエン(Leonard Cohen)の「Democracy」という曲が入っています。彼ら自身が今の社会や、今のポップ・ミュージックのあり方をしっかり根底から考え、向き合って、すごく真摯に作った作品という渋谷さんの評価です。