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アストン・バレット追悼特集
今回は2月3日に77歳で亡くなったアストン・バレットの追悼特集でした。アストン・バレットはファミリーマンというニックネームでも知られていたベーシストでボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベース奏者でもあり、殆どの曲の編曲もしていたし、曲を共作することもあったし、ボブ・マーリーと一緒にプロデュースすることもありました。ベーシストとしてもサウンドが素晴らしく、レゲエのベースサウンドは彼が作ったと言っても過言ではないそうです。1946年の生まれでボブ・マーリーより1歳年下。ウェイラーズがボーカルグループとしてデビューした60年代前半に既に彼らの音楽を知っていたそうです。当時のアストン・バレットはまだ10代でかなり貧しい家庭で育ったそうです。弟のカールトンはドラマーでしたが、二人とも貧しいので楽器を買うことができず、アストン・バレットのの最初のベースは手作りの1弦ベースだったそうです。ミュージシャンになる前は溶接の仕事をしたり、オートバイの修理工をやったり、鍛冶職人だたり色んなことをしていたそうです。1弦ベースでの演奏はかなり話題になり、ボブ・マーリーから声がかかるのは60年代半ばから後半。ウェイラーズが世界的に有名になる前の話です。
アストン・バレットは最初はヒッピー・ボーイズというグループで、その後プロデューサーのリー・ペリーに引っ張られてアップセッターズに加入します。
Tony Scott「What Am I To Do」
アップセッターズがバックをつとめたトニー・スコットという人が1969年に出した曲。
Harry J. Allstars「The Liquidator」
この曲はアストン・バレットがいたヒッピー・ボーイズの曲で、この曲の権利をハリー・ジェイというプロデューサーが買って、ハリー・ジェイ・オール・スターズという名前で1969年に出したそうです。イギリスでトップ10に入ってバラカンさんも知っていたそうです。
アストン・バレットがボブ・マーリーと会ったのは、ボブがしばらくジャマイカを離れてお母さんが仕事のために住んでいたアメリカのデラウェア州に行っていましたが、ジャマイカに帰ってきてジャマイカの音楽が変わったなと感じたそうです。よく耳に入ってくる曲のリズムセクションをすごく気に入って、このベーシストとドラマーは誰だ?と紹介してもらったのがバレット兄弟だったそうです。
Bob Marley & The Wailers「Duppy Conqueror」
1971年シングルとしてジャマイカで発表された曲。
Bob Marley & The Wailers『Live!』
ウェイラーズは1973年に『Catch a Fire』と『Burnin'』を出します。『Burnin'』の中に入っている「I Shot the Sheriff」をエリック・クラプトンが取り上げ、1974年の夏にエリック・クラプトンのバージョンがアメリカのチャートで1位になります。それでボブ・マーリーの名前が最初はソングライターとして知られて、1975年にロンドンのライシアムという会場で録音されたライブアルバムで大きくブレークします。
Trenchtown Rock
アルバム冒頭の曲。
Get Up, Stand Up
番組最後はこの曲でした。