ラジオと音楽

ラジオから知った音楽のこと書いていきます

ジャズ・トゥナイト 2023年3月18日(セロニアス・モンク、ケニー・クラーク、ソニー・ロリンズ、ウェイン・ショーター、ウェス・モンゴメリー)

 

シリーズJAZZジャイアンツ(46)ルディ・ヴァン・ゲルダ

毎月恒例のJAZZジャイアンツですが、初めての録音エンジニアの紹介となります。

ルディ・ヴァン・ゲルダーは1924年11月2日ニュージャージーに生まれています。2016年8月25日91歳で亡くなるまで手掛けた録音の数はとてつもなく、ジャズ史になくてはならない存在。

第二次世界大戦直後に父親がニュージャージー州ハッケンサックという場所に自らの設計で家を建てて、そこの居間の部分に息子のルディと一緒にスタジオとして使えるような部屋を作ったそうです。学校でトランペットを演っていたヴァン・ゲルダーは、そこで友達のとセッションを録音するようになり、検眼医として働き始めた頃、ヴァン・ゲルダーが趣味でしていた録音の噂を聞いた人が、歌手のジョン・ムーニーを連れてきて録音を依頼し、それが発売されてラジオで流れたことで続々とレコーディングの依頼が入るようになります。その中の一人、サックス奏者のギル・メレのレコーディングがブルーノート・レコードのプロデューサー:アルフレッド・ライオンの耳にとまり、その後ほぼ全てのブルーノート作品がヴァン・ゲルダーに依頼されるようになりました。

 

ヴァン・ゲルダーの録音は一つ一つの楽器の音が鮮明に聞こえてくる録音。それぞれの楽器の前にマイクを近づけて録音して、それをミックスしてテープに入れることによって実現していたそうです。当時のハッケンサックのヴァン・ゲルダーの自宅スタジオは、天井がすごく高く、部屋の響きも自然だったそうです。

 

Thelonious Monk「Hackensack」

1954年5月セロニアス・モンクの録音で当時ヴァン・ゲルダーのスタジオがあった場所をタイトルにした曲。ピアノの音がドラムの音に負けないように、ルディ・ヴァン・ゲルダーがピアノの音量を上げているそうです。

 

50年代の中頃になるとヴァン・ゲルダーは、ほぼフルタイムでレコーディングの仕事に集中するようになります。サヴォイ・レコードからもオファーが入り、ジャズの3大レーベルの仕事を一手に担うことになります。

 

Kenny ClarkeTelefunken Blues」

1955年サヴォイに吹き込んだアルバム『Telefunken Blues』。Telefunken(テレフンケン)とは、マイクを作っていた会社の名前。ジャケットにヴァン・ゲルダーが愛用していたテレフンケン社製のマイクU47(ノイマンとも呼ばれます)が写っています。このマイクが出たことで、ヴァン・ゲルダーの録音が画期的に変わったと言われているそうです。それ以前はリボンマイクで録音していたそうですが、この頃コンデンサーマイクのU47が出て、より広い音域、小さな音から大きな音まで撮れるようになったそうです。このマイクを個人で最初にアメリカで購入したのはヴァン・ゲルダーだそうです。

ヴァン・ゲルダーはこのマイクを開発したノイマンという人と個人的にも交流して、性能の向上にも貢献するそうです。

 

ヴァン・ゲルダーは、1957年ブルーノートで初めてのステレオ録音をします。右と左に音があるというだけでなく、空間をこれまでのモノラルとは違うやり方で把握することができるようになっています。

 

Sonny Rollins「Tune Up」

1957年9月ハッケンサックのスタジオでのステレオ録音。

Newk's Time

Newk's Time

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Wayne Shorter「Angola」

追悼の意も込めて3月2日に89歳で亡くなったウェイン・ショーターの曲がかかりました。1965年3月の録音『The Soothsayer』より。

 

 

1967年ヴァーヴのプロデューサー:クリード・テイラーは、大メジャーのA&Mに引き抜かれ、ジャズ部門を任されてCTIを立ち上げます。そして、ヴァン・ゲルダーに専属契約の話を持ちかけます。ヴァン・ゲルダーは悩んだ末に、スタジオを生かして大規模で豪華なセッションを録音できるという新たな挑戦をすることになります。その際にこれまでにない様々な技術を取り込んでいきます。その一つが「オーバー・ダビング」。一発で録るのではなく、後で音を重ねていく技術に挑戦していきます。

 

Wes Montgomery「Angel」

「オーバー・ダビング」の仕事の第一弾。ウェス・モンゴメリーの1967年録音のアルバム『A Day In The Life』より。