シリーズJAZZジャイアンツ(32)スタン・ゲッツ
今年2月に生誕95年を迎えるスタン・ゲッツの特集でした。
1927年2月2日ペンシルベニア州フィラデルフィアでユダヤ系ウクライナ人移民の両親の元に生まれました。家族は間も無く職を求めてニューヨークのブロンクスに移住します。幼い頃から学業がずば抜けていたそうで、6歳の時には既に音楽に興味を持ち始めましたが、非常に貧しい家庭だったので楽器を買ってもらうことができず、12歳の時に初めて自分の楽器としてハーモニカを手にし、たちまち腕を上げて、学校で演奏会を依頼されるほどになったそうです。13歳の頃に中古のアルトサックスを買ってもらって、音楽を教えてもらう機会を得ます。その後、テナーサックスに興味を持ち、14歳の頃にはバスーンで高校のオーケストラに入って、あっという間に上手くなったそうです。何をやっても、頭抜けていたようです。
Stan Getz Quartet「There's a Small Hotel」
アルバム『Stan Getz Quartets』から1950年の録音。1950年1月の人気投票でスタン・ゲッツはリー・コニッツと共にミュージシャン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたそうです。22歳でトップの座を手にし、妻と1歳の息子と共に新築の家を建てたそうです。その一方で薬の中毒でもあったそうです。
Stan Getz & Swedish All Stars「Dear Old Stockholm」
スタン・ゲッツの評判は海外にも知れ渡り、ヨーロッパのツアーもしていたそうです。1951年単身でスウェーデンを訪れた時、空港でものすごい歓迎を受けます。それでスウェーデンのことをすごく気に入り、後年は住むことになるそうです。
スウェーデン民謡の「美しき楽園」という曲にゲッツがこの題名をつけて行った演奏が後々ゲッツの代名詞となるほど好評で、以後この国と深い関係が続くことになります。
Stan Getz「These Foolish Things」
名ジャケットで知られるアルバム『Stan Getz Plays』より。デューク・ジョーダンをピアノに迎えたバラード。1952年の録音。
Stan Getz「Early Autumn」
1960年初のストリングスとの共演アルバム『Cool Velvet』をドイツで録音します。
Stan Getz、Bob Brookmeyer「A Nightingale Sang In Berkeley Square」
スタン・ゲッツはヨーロッパ特にスウェーデンを中心に活動していましたが、ニューヨークでのジャズの動向が非常に気になっていました。ジョン・コルトレーンはモードを推し進めて『Giant Steps』や『My Favorite Things』を出し、マイルス・デイヴィスは『Kind of Blue』でよりクールでモード的な方向を極め、オーネット・コールマンが新しいフリー・ジャズの手法で出てきたりというのを焦りと共に聴いていて「アメリカに帰らなくちゃ」と思ったようです。そして、60年代に入ると軸足をアメリカに移します。アメリカに行って最初に演ったことの一つが6年半ぶりにバルブトロンボーン奏者のボブ・ブルックマイヤーとの共演をすることでした。
Stan Getz、Joao Gilberto「Desafinado」
1961年ギタリストのチャーリー・バードがスタン・ゲッツにぴったりのラテン音楽があると聞かせたのがブラジルの最新音楽ボサノバでした。ゲッツも一気に魅了されて1962年チャーリー・バードとアルバム『Jazz Samba』をリリースして大ヒットさせ、全米ボサノバ・ブームを巻き起こします。
ボサノバを作ったは、アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルト。プロデューサーのクリード・テイラーはゲッツとジルベルトやジョビンの共演を画策します。それが伝説の名盤『Getz/Gilberto』です。
Stan Getz、Kenny Barron「First Song」
スタン・ゲッツは1991年6月6日64歳で癌で亡くなりました。アルコール、薬物中毒にしては長生きした方かもしれません。晩年は手術の痛みなどでステージに立つのがやっとの状態だったそうです。
スタン・ゲッツ最後の録音となったピアノのケニー・バロンとのデュオで1991年3月にコペンハーゲンのジャズハウス「モンマルトル」でのライブ録音からチャーリー・ヘイデンの書いた非常に美しいバラード。
スタン・ゲッツのエピソードは村上春樹さんが訳した、ドナルド・L・マギンが書いた「スタン・ゲッツ:音楽を生きる」という本に詳細が書かれているそうです。