追悼:ビル・ウィザーズ
3月30日に81歳で亡くなったビル・ウィザーズ(Bill Withers)の追悼特集でした。
1番のヒット曲は「Lean On Me」。世界中で悲しみのある時、希望を持ちたい時に良くかかる曲。2011年の東日本大震災、そして今コロナに苦しむ日々にラジオで良く聴きます。先週のBarakan Beatでもかかりました。
ビル・ウィザーズは1938年ウェストバージニア州のスラブフォークというところで(現在は200人位しかいない集落だそうです)生まれました。炭鉱の町で線路を隔てて片方は黒人、片方は白人という場所の境目の辺りに住んでいたそうです。子供の頃は、一方でゴスペルを白人の方ではカントリーを聴いている人がいるから両方の音楽を聴いていたそうです。高校卒業後海軍に入って、9年間海軍で働いて、飛行機の修理工をしていました。しばらくグアムに駐屯してカリフォルニアに移り、海軍を辞めた後はカリフォルニアで飛行機の部品を作る会社で働いていたそうです。
ルー・ロウルズのコンサートを観に行って、こんな風になりたいと思うようになったそうです。ビルは子供の頃から吃音に悩まされていて28歳まで続きました。自分に何とか自信をつけたいと相当努力をされました。
飛行機の仕事をしながら質屋で安いギターを買ってきて曲を作り始めてデモテープに録音したそうです。でもそのデモテープに興味を持ってくれる人はいなかったそうです。
サセックスというレーベルを立ち上げたばかりのクラレンス・エイバントという人と出会います。このクラレンスが彼の曲に初めて興味を持ってくれて、ブッカー・T・ジョーンズ(Booker T. Jones)につなげくれました。ブッカー・Tはビルの曲を聴いている途中で知り合いのミュージシャンの連絡先を調べたり、スタジオをブッキングしたりして、めでたく1971年にデビューアルバム『Just as I Am』を出すことになりました。
Bill Withers『Just as I Am』
Harlem
アルバムの1曲目
Ain't No Sunshine
この曲は「Harlem」のシングルB面だったそうです。驚きです。
失恋の歌。映画「酒と薔薇の日々」をTVで観終わった後に書いた曲だそうです。
Grandma's Hands
ビルのお父さんは13歳で亡くなっています。お母さんと育ったビルですが、祖母が大きな存在であったそうです。祖母の手がどれだけ大事だったかと歌っている曲。
Let It Be
自分の曲以外歌うことは滅多にないのに、この曲を歌っていたとは驚きです。
リクエスト曲で私も好きな曲を掲載させて頂きます。
Use Me
Just The Two Of Us
邦題は「クリスタルの恋人たち」というんですね。
グローヴァー・ワシントン・ジュニア(Grover Washington, Jr.)が1980年に発表したアルバム『Winelight』に収録されています。
カバー曲も何曲かかかりました。
私が一番気に入っているのは、ホセ・ジェイムズが2018年に出したカバーアルバムです。ビル・ウィーザーズの歌い方にすごく近くていいなぁと思いました。
Jose James『Lean On Me』
The Same Love That Made Me Laugh
「ウィークエンド・サンシャイン」の「聴き逃し」が始まったんですね。知りませんでした。