シリーズJAZZジャイアンツ(16)オーネット・コールマン
今回はフリージャズの大巨匠オーネット・コールマンの特集。
オーネット・コールマンは、1930年3月9日生まれ。テキサス州コートワーズ出身。2015年6月11日85歳で亡くなりました。4人兄弟の末っ子で7歳の時に父親を亡くして以降は経済的に非常に苦労が多かったですが、中学校の時にサックスに興味を持ち、お母さんを説得してアルトサックスを手に入れて独学で習得。地元の高校には、チャールズ・モフェット、デューイ・レッドマン、キング・カーティスがいたそうです。その後は、テナーサックスを手に入れてビバップを勉強したり、地元のバンドに入ってツアーをしたりしていたそうです。この辺りの音源は残念ながら残されていないそうです。
Ornette Coleman「Lonely Woman」
オーネット・コールマンの3枚目のアルバム『The Shape Of Jazz To Come(邦題:ジャズ来るべきもの)』。世界に衝撃を与えました。トランペット:ドン・チェリー、ベース:チャーリー・ヘイデン、ドラムス:ビリー・ヒギンス。
この曲は、オーネット・コールマンがデパートの在庫係をしていた時に目にした寂しそうな白人女性の肖像画にインスパイアされて書いた曲と言われています。1959年5月の録音。
オーネット・コールマンが亡くなった後の2015年7月11日に前DJの児山紀芳さんが追悼特集をしてくれました。その時に児山さんがオーネット・コールマンにインタビューした内容が紹介されましたのでここに記させて頂きます。
1974年オーネットのニューヨーク・ダウンタウンのロフトを児山さんが訪ねた時のコメント。「あなたは1959年にニューヨークのジャズ界に登場して、ジャズに新しい概念をもたらすと共に、その後のジャズに大きな影響を与えました。自分自身では何を達成したと考えていますか?」
これまでを振り返って、私が何をやったかということに思いを馳せると、私は才能を持つ人が白人であれ、黒人であれ、人間でありたいという主張ができる芸術を見つけ、それが何かを人々に知らせたことではないかと思う。
私にとってジャズとは、一人の人間として私が自由であり、正直であり、自然であるための最も根源的な意思表示の方法だ。誰かに何か新しいことをやって、評価してもらおうというような、そんなものではない。創造の喜びを皆んなと分かち合うことなのだ。
児山さんはこのオーネットの言葉に大いに感動されたそうです。
また児山さんはオーネットに「1962年12月から1965年初めまで活動を休止した理由は何だ?」と聞いたことがあるそうです。
分かりやすく言えば、ジャズ・ビジネスの一部の勢力が私の音楽が存在することも演奏することも嫌ったからだ。
とオーネットは語ったそうです。
1972年にシンフォニックな野心的大作『Skies of America(邦題:アメリカの空)』を完成させ録音しようとした時も、ニューヨーク・フィルとの共演は実現できませんでした。オーネットは英国にまで飛んでロンドン交響楽団の協力を得て完成しています。当初、ロンドン交響楽団の演奏家たちも共演には懐疑的だったそうです。しかし、3日に及んだ録音が終了した時、オーケストラの全員が総立ちになって拍手で称えたと言われています。
Ornete Coleman Quartet with London Symphony Orchestra「The Artist In America」
1972年4月に録音された『アメリカの空』から。1曲となっていますが、アルバムが長い組曲となっているのでその一つと考えた方がいいそうです。
共演が実現できなかったニューヨーク・フィルの人たちとはオーネットのニューヨークのロフトでリハーサルをしていたそうです。イギリスにはオーネットのメンバーの入国は許されず、オーネット一人で入国したそうです。
Ornette Coleman & Prime Time、Jerry Garcia「3 Wishes」
ジェリー・ガルシアと共演しているんですね。驚きです。
1987年10月に録音されたアルバム『Virgin Beauty』より。