シリーズJAZZジャイアンツ (50)アーマッド・ジャマル
今回のJAZZジャイアンツは今年の4月16日に92歳で亡くなったピアニスト:アーマッド・ジャマルの特集でした。
アーマッド・ジャマルは1930年7月2日ペンシルベニア州ピッツバーグの生まれ。幼少期から神童と呼ばれ、3歳の時には叔父の手ほどきでピアノに触れるようになり、全くピアノを習ったことのないアーマッドが叔父さんと同じようにサラッと弾いたそうです。17歳でジョージ・ハドソン・オーケストラに加わってプロ活動を始めます。その後、シカゴに拠点を移し彼自身のバンドを結成します。オーケー・レコードと契約を結び初録音を行います。
Ahmad Jamal「New Rhumba」
1955年デビュー後4回目の録音。ギター:レイ・クロフォード、ベース:イスラエル・クロスビーのトリオ。この頃、マイルス・デイヴィスのお姉さんが、マイルスにアーマッド・ジャマルを聴くように勧めたそうです。その後、マイルスはアーマッド・ジャマルを敬愛し、自分のバンドに何度も誘ったそうです。この曲はマイルスのアルバム『Miles Ahead』にも収録されている曲。
Ahmad Jamal Trio「Beat out One」
トリオ編成がギターからドラムに変わります。シカゴのドラマー:ウォルター・パーキンスが入って1956年秋に録音されたアルバム『Count 'Em 88』からアーマッド・ジャマルのオリジナル曲。ベースは、イスラエル・クロスビー。
Ahmad Jamal Trio『But Not for Me』
ドラムスがヴァーネル・フォーニアに代わります。これで、ヴァーネル・フォーニア、イスラエル・クロスビー、アーマッド・ジャマルの3人のトリオで毎晩のように演奏し、録音を重ねていきます。大ヒットアルバム『But Not for Me』から2曲かかりました。1958年1月シカゴのパーシング・ラウンジでのライブ録音。
Poinciana
アーマッド・ジャマルの代名詞のような曲。
Moonlight In Vermont
Ahmad Jamal Trio「Sweet And Lovely」
アルバム『But Not for Me』の大ヒットのお陰で、アーマッド・ジャマルはシカゴにジャズ・クラブ「アルハンブラ」をオープンして約1年間店舗経営にも挑戦します。この「アルハンブラ」でのライブ録音アルバム『Ahmad Jamal's Alhambra』より。アーマッド・ジャマルのピアノ、イスラエル・クロスビーのベース、ヴァーネル・フォーニアのドラムスで録音は1961年6月。
Ahmad Jamal with Voices「By Myself」
1962年イスラエル・クロスビーが亡くなったことにより、アーマッド・ジャマル率いるトリオが解散します。1967年ジャミル・スリーマンのベース、フランク・ガントのドラムを従えて、新しいトリオに新たな試みとしてザ・ハワード・A・ロバーツ・コラールというコーラス隊を従えての1968年のアルバム『The Bright, The Blue And The Beautiful』より。大友さんも初めて聴いたそうです。
※アルバムはAmazonで見つからず、曲はSpofifyでは見つかりませんでした。
Ahmad Jamal Trio「Dolphin Dance」
インパルス時代の1970年録音のアルバム『The Awakening』からハービー・ハンコックの曲。
Ahmad Jamal, George Coleman「The Essence」
1995年アルバム『Essence Pt.1』からジョージ・コールマンとの共演。メンバーは、ジョージ・コールマンのテナーサックス、アーマッド・ジャマルのピアノ、ジャミール・ナッサーのベース、アイドリス・ムハマッドのドラムス、マノロ・バドレーナのパーカッション。
Ahmad Jamal「Poinciana」
最後の曲は2016年7月フランスでの録音を収めたアルバム『Ballades』より。このアルバムはアコースティック・ピアノによるソロ演奏が大半を占めています。リリースされたのは2019年。アーマッド・ジャマルの代表曲。1958年録音との差を聴くことで、アーマッド・ジャマルの長く演ってきた様々な音楽の歴史が聞こえてくるのでは、と大友さんは仰っていました。