シリーズJAZZジャイアンツ(34)クインシー・ジョーンズ
3月14日に89歳の誕生日を迎えたリビング・レジェンド、作編曲家、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの特集でした。松尾さんのメロウな夜ではジャズ以外の特集でしたのでちょうどいいですね。
クインシー・ジョーンズは、1933年3月14日シカゴ生まれ。この時代は黒人の家庭は非常に差別されていて、小さい頃のクインシー・ジョーンズは半分ギャングみたいな仲間に入ってピストルを持ち歩いてたような環境で生きていたそうです。お母さんは精神を患ってしまって本当に苦労が絶えない一家だったそうです。より良い環境を求めて引っ越しをする中で1947年シアトルに引っ越すことになります。これが彼の運命を変えます。学校のバンドでトランペットに夢中になり、同じ頃に殆ど白人しかいない学校で生徒会長的役目も担うことになり、自信を持ってきます。シカゴの時代の拳銃を懐に忍ばせながら盗みを働いていたような頃とは全然違う環境で、彼は自分に自信を持つようになります。
14歳になった頃には、何と幼馴染が二つ上のレイ・チャールズ。レイはその頃、歌もピアノも演りますけれどもアルトサックスがすごく上手くて、チャーリー・パーカーみたいに吹いていたみたいです。
シアトルには有名バンドがいっぱい巡業に来ていて、クインシー・ジョーンズが大好きだったのはカウント・ベイシー楽団。カウント・ベイシー楽団が来ると入り浸りになっていたそうです。楽団のトランペット奏者クラーク・テリーはクインシー・ジョーンズをとっても可愛がって、学校に行く前の早朝にレッスンをしてくれたそうです。
高校卒業後は現在のバークリー音楽院の前身の学校に奨学金を得て進学します。
1957年初めてニューヨークに行って、大好きだったビバップの大スターたちに出会うことになります。そして、ライオネル・ハンプトン楽団に入ることになります。
Quincy Jones「A Sleepin' Bee」
1956年ディジー・ガレスピーに声をかけられて、トランペットとアレンジ、音楽監督として彼のバンドでアメリカの国務省主催で中東とか南米をツアーしました。帰国後、ABCのプロデューサーだったクリード・テイラーから声をかけられて、9月に初のリードアルバム『This is How I Feel About Jazz(邦題:私の考えるジャズ)』を出します。
Ray Charles「Let The Good Times Roll」
1959年親友レイ・チャールズのアルバム『The Genius of Ray Charles』を録音します。
Quincy Jones & his Orchestra「Soul Bossa Nova」
1962年のヒット曲。フィル・ウッズがアルトサックス、ポール・ゴンザルヴェスがテナーサックス、ローランド・カークがフルートでアドリブをとっています。ジェローム・リチャードソンが様々なリード楽器を吹き、アルゼンチンで出会ったラロ・シフリンがピアノ、ジム・ホールがギター、クリス・ホワイトがベース、ルディ・コリンズがドラムス。
Count Basie & his Orchestra「I Can't Stop Loving You」
1963年カウント・ベイシーのアルバム『This Time By Basie』で、ベイシーのためにポップソングの「I Can't Stop Loving You」をアレンジして、初のグラミー賞を受賞します。前の年の1962年にレイ・チャールズがこの曲をリバイバル・ヒットさせています。元々は1958年にドン・ギブソンがヒットさせた曲です。
Quincy Jones「Killer Joe」
1960年代の途中からクインシーは西海岸に移住して映画音楽に集中していきます。1969年からはA&Mレコードにフュージョン的作品を録音していきます。その第一がグラミー賞を取ったアルバム『Walking in Space』。このタイトルは月にアポロが到着したことに関連して付けられたタイトルだそうです。
Quincy Jones「Along Came Betty」
1974年の大ヒットアルバム『Body Heat』から、アルバム唯一のインスト曲。
Quincy Jones「Stuff Like That」
クインシーは42歳の時、脳動脈瘤破裂で倒れます。二度の手術の後奇跡的な復帰を遂げます。1978年、再起後のアルバム『Sounds & Stuff Like That』より。
Quincy Jones「Ironside(feat. Talib Kweli)」
今のところクインシー・ジョーンズの最新アルバムは、2010年『Q: Soul Bossa Nostra』より。このアルバムは彼の過去の作品をセルフカバーしています。