シリーズJAZZジャイアンツ(29)ローランド・カーク
今月のJAZZジャイアンツはマルチリード奏者ローランド・カークの特集でした。
ローランド・カークは1935年8月オハイオ州コロンバス出身(1936年という説もあるそうです)。1977年12月(1935年生まれであれば)42歳で亡くなりました。
ローランド・カークは2歳の頃に医療ミスで失明してしまったそうです。失明後も子供の頃から音楽に興味を持ってトランペットやクラリネット、サックスなど様々な楽器に挑戦しています。夢の中で三つのリード楽器を同時に吹いている自分の姿を見て、実際に実現しました。
Roland Kirk「The Haunted Melody」
1961年8月に大手レーベルのマーキュリーと契約します。その契約第一弾として夏に録音したアルバム『We Free Kings』より泣けるような素晴らしいメロディ。
Roland Kirk「Domino」
1962年シカゴで録音したアルバム『Domino』からタイトル曲。
Roland Kirk「I Say A Little Prayer」
1969年7月に録音されたアルバム『Volunteered Slavery』からバート・バカラックの曲。このアルバムはコルトレーンの追悼も込められているそうです。
Rahsaan Roland Kirk「Volunteered Slavery」
1972年モントルー・ジャズ・フェスティバルのライブアルバム『I, Eye, Aye』より。
途中ピアノソロになっている部分は、ローランド・カークがサックスを持って客席の中に雪崩れ込んで演奏を続けているため、マイクで音が拾えなくなっているためです。ステージに戻ってからは椅子を壊したりパンク並みのパフェーマンス。すごいです。
1970年に入った頃からローランド・カークは名前の冒頭にラサーンと付けるようになります。周りからもラサーンと呼ばれていたそうです。
Rahsaan Roland Kirk「I'll Be Seeing You」
1975年11月にローランド・カークは脳卒中で倒れます。右半身が麻痺してしまいますが、左手一本で演奏できるように楽器を改造してカムバックします。
この時にでたアルバムが『The Return Of The 5,000 Lb Man(天才ローランド・カークの復活)』で日本では1976年に発売されました。実際は倒れる前に録音したアルバムだったそうです。
ローランド・カークは、1977年12月遠征先のインディアナ州ブルーミントンで二度目の脳卒中により亡くなります。最後にローランド・カークが亡くなる前に話した言葉を大友さんが紹介してくれました。
分かりきったことだが、音楽は素晴らしいものだ。生まれ変わったら俺は音になって戻ってくるつもりだ。