ラジオと音楽

ラジオから知った音楽のこと書いていきます

音楽遊覧飛行 2020年9月24日(ヴーシー・マーラセラ、オキダブアイヌバンド、イブラヒム・マーロフ)

 

新譜紹介

 

Vusi Mahlasela『Shebeen Queen』 

南アフリカに人種差別のアパルトヘイト法があった時代から活躍し、南アフリカの声と呼ばれるベテラン男性歌手:ヴーシー マーラセラの最新ライブアルバム。「Shebeen(シェビーン)」とは違法の居酒屋のことで、彼のお婆さんのアイダがシェビーンで歌い続け、シェビーンの女王と呼ばれていたことからこのアルバムは名付けられました。アパルトヘイト法時代の黒人専用の居住区タウンシップでアイダさんが歌い続けた曲を集めています。

Shebeen Queen

Shebeen Queen

  • アーティスト:Vusi Mahlasela
  • 発売日: 2020/08/14
  • メディア: CD
 

 

Zimbabwe



 

 

長い音楽

今月の特集は「長い音楽」。リスナーに大好評の特集だそうです。

十分な長さがあってこそ表現できる音楽世界が堪能できる特集です。

 

Oki Dub Ainu Band「East of KUNASHIRI」

オキダブアイヌバンドの代表曲「East of KUNASHIRI」を再録音したシングル。この曲はオキが2002年にサハリンから船に乗り、夜明け前に真っ赤な朝焼けを背に現れた択捉島国後島を目にしたことから生まれました。コンサートでは必ず演奏されるこの曲の2020年最新録音9分12秒です(YouTubeはダイジェストです)。

 

EAST OF KUNASHIRI

EAST OF KUNASHIRI

  • 発売日: 2020/07/25
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

 

 

世界の街:ベイルート

8月4日に大規模な爆発事件が起き、約30万人が被害を受けたレバノンの首都。ベイルートは東地中海に面した港とそこに迫り建つ複数の崖の上や山の斜面に沿って広がっている街です。宗教のモザイク国家と呼ばれるレバノンの平和を保つために国勢調査はあえて行われていません。そのため現在の正確な人口は分かりませんが、2007年の推定では約100万人から220万人がベイルートに住んでいると言われています。

ベイルートは5000年以上前から人が暮らし、紀元前15世紀のエジプト新王国時代の記録にも登場する世界で最も古い街の一つです。古代フェニキア人によって泉を意味するべルートから名付けられました。近世は現在のイスラエル北部の港町アッコと並んで東地中海の交易の中心地として栄えました。第一次世界大戦後、オスマン帝国の消滅によるベイルートを含むレバノンはフランスに与えられ、キリスト教徒が優遇され、このことが現在まで続く宗教間の緊張を生みました。第二次世界大戦後に独立し、中東アラブにおける貿易と金融センターとして栄え、中東のパリと呼ばれました。

しかし、相次いだ中東戦争パレスチナ難民の流入、そこに宗教間の対立が加わり、1975年に内戦が起き、1991年まで15年以上も続き、街は完全に破壊されました。

内戦終了後、街は一部復興したものの、中東の金融センターはドバイに移りました。21世紀に入ってからも、2006年にはイスラエル軍による空爆を受けるなど、観光客が戻ってくることはありませんでした。

サラーム海上さんは、この街を2002年、2012年、2013年の3回訪れているそうです。2002年にはかつての戦闘地域がちょうど東京のお台場のように真新しく復興されていて、ベイルートの未来は明るいように思われたそうです。しかし、その10年後に再訪すると、着いた晩に爆破テロが起こり、戒厳令がひかれ、10年前の明るさは消えてしまっていたそうです。

そしてこの8月の爆発事故、さらに加えて日本ではカルロス・ゴーンが逃げ隠れている街としても知られてしまっています。

しかし、ベイルートは風光明媚な街で、サラームさんのご専門の中東料理においても無視できないグルメな街だそうです。そしてベイルートイスタンブールリオデジャネイロやニューヨークのように沢山の音楽家たちによって愛され、街をテーマにした曲が作られています。

 

Ibrahim Maalouf「Beirut」

レバノン系の人気トランペッター:イブラヒム・マーロフによる11分弱の曲。この曲は彼が子供時代(1980年代)の内戦真っ只中のベイルートの街の風景を描いています。

ダイアグノスティック

ダイアグノスティック

 

 

 

イブラヒム・マーロフは3月19日の「ジャズ・トゥナイト」でも紹介されました。