ジョン・プライン特集
4月7日にコロナウィルスにより73歳で亡くなったジョン・プラインの追悼特集でした。
ジョン・プラインは1970年代初頭にデビューで40年以上のキャリアがありますが、ヒット曲は特にありませんでした。最後のアルバム『The Tree Of Forgiveness』はチャートの上位にいきなり食い込み、ジョン・プラインにとって一番の売り上げとなりました。
ジョン・プラインは第二次世界大戦直後の1946年にシカゴの郊外イリノイ州メイウッドで生まれました。彼の両親はケンタッキーの出身で石炭産業の小さな町にいました。それを逃れるように彼のお父さんはシカゴの近くに引っ越しました。お父さんは労働者階級だったので、かなりギリギリの生活だったそうです。彼らが暮らしていたケンタッキーの町の名前は「Paradise」。このタイトルの曲も作ります。
ジョン・プラインの最初の仕事は郵便配達。1960年代半ばにベトナム戦争で徴兵されます。ベトナムではなく、ドイツで車両整備を担当していたそうです。徴兵後、アメリカに帰国し、また郵便配達を続けながら曲を作っていったそうです。
素晴らしい曲が沢山かかりましたが、デビューアルバムと最後のアルバムの2枚を掲載させて頂きます。
John Prine『John Prine』
1971年のデビューアルバム。名曲がいくつも入っています。
Sam Stone
ジョン・プラインの名曲の中で一番有名な曲。
ベトナム戦争からの帰還兵「Sam Stone」という架空の男。彼は負傷してPTSDとなり、傷による痛みもずっと続いており、痛みを和らげるためにモルヒネを与えられます。そして彼はモルヒネの中毒になってしまい、お子さんが「パパの腕の中に穴があって、そこにお金が全部流れていくんだね。イエス・キリストは無駄に死んじゃったんじゃないだろうか?」とリフレインします。
Hello In There
ジョン・レノンの「Across the Universe」でジョンの声にリバーブがすごくかかっているのがジョン・プラインは気に入っていたそうです。それで、彼はくり抜いた丸太に向かって歌ってみようかな「お〜い。そこに誰か〜」みたいなことを考えていたそうです。その思いから何故かお年寄りのことを考え始めたそうです。
昔からお年寄りに親近感を持っていて、孤独な年寄り夫婦のことを書いた曲。
老夫婦の子供達が巣立っていなくなって、一人は朝鮮戦争で死んでしまうことがあったり、会話もそんなになくなってボーッとした生活を送っている。もしいつか町を歩いていて虚な老人が目に入ったら通り過ぎるだけでなく「こんにちわ」と言ってみたらどうだろう?と歌っています。
Paradise
「Paradise」は、ジョン・プラインの両親が住んだケンタッキーの炭鉱の町。
最初は炭鉱はなくて、極楽のような大自然の町だったが、炭鉱会社によって環境が破壊されたという歌。
John Prine『The Tree Of Forgiveness』
2018年に13年ぶりに発売されたジョン・プライン最後のアルバム。ナッシュビルでジョン・プラインを慕っている若手のミュージシャン達(ジェイソン・イズベル、ダン・オーバック、ブランディ・カーライルなど)が多く参加しました。アルバムチャートの5位になりました。
When I Get To Heaven
(訳詞)
私が天国に逝った時に、何をするか
まず、神様と握手をする
ギターを持ってロックンロール・バンドを始める
一流ホテルにチェックインする
もう一度芸能界に復帰して、「許しの木」という名前のナイトクラブを経営する
これまで私に害を及ぼした人達を全員許してしまう
あの寄生虫のような評論家たちも何人か招待しようかな
一杯奢ってやろうじゃないか
Summer’s End