冷戦音楽史(3)“第三次世界大戦と人類滅亡の幻想”
ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日から10日にかけて。1989年暮れにはアメリカのレーガン、ソ連のゴルバチョフという東西の2大指導者が会談して冷戦の終結を宣言しました。ちょうど30年前になります。それを記念にして「クラシックの迷宮」では冷戦に因んだ音楽を聴いていこうというミニシリーズが組まれています。冷戦という観点からクラシック音楽史を振り返っています。今回は3回目で最終回。
今回は音楽を聴きながら冷戦史を見る。冷戦というのは第三次世界大戦、核戦争、人類滅亡。アメリカとソ連がもし本当に戦争をしたら人類は滅亡してしまう。そういうプレッシャーの中でみんなが生きていた時代。第三次世界大戦、人類滅亡のイメージが音楽でとういう形で表現されていたのかということを取り扱う回だそうです。クラシック音楽に限らず、アメリカのポピュラー音楽も聴きながら冷戦、核戦争と音楽を関連付けて聴いてみようという特集でした。
ブキャナン・ブラザース「原子力」
1946年のアメリカのポップ・ソング。アメリカは原子力エネルギーを手にして、原爆を開発して世界にアメリカの敵はいないんだと。アメリカが奢り昂っている歌だそうです。
ドリス・デイ「ティク・ティク・ティク」
1949年ミュージカルの歌。恋の悩み、心を痛める女性の歌ですが、「ティク・ティク・ティク」というのは時計の針音ではなくて、ガイガーカウンターの音だそうです。
この歌ができた1949年にソ蓮が原爆を開発しました。米ソ冷戦と言ってもアメリカは原爆を持っているけどもソ連はまだ持っていないから、いざ戦争になったらアメリカが優位だから大丈夫とアメリカの人たちはみんな思っていたのですが、ソ連が原爆を開発したのでソ連が原爆でアメリカを攻撃してくるのではと急にみんなが心配しだしたそうです。いざという時はガイガーカウンターで測って、ここは安全か確かめましょうねということで「ガイガーカウンター・ブーム」が沸き起こったそうです。そういう世相をミュージカルに取り入れた歌だそうです。
サム・ヒントン「民間防衛行進曲」
1957年「Civil Defense(民間防衛)」のキャンペーン曲。
アメリカではソ連の核攻撃に備えて「自助」で備えてくださいという放送をしていたそうです。「民間防衛」はみんなのビジネス、仕事なんだと。アメリカの国民であれば自宅にシェルターを作るなど核攻撃から身を守る行動を取らなければいけないんだと。
アル・レックス 「水素爆弾の歌」
「民間防衛」と言っても限界が出てきます。原爆の破壊力が大きくなってくると大丈夫かな?と。1954年にはアメリカが水爆の実験に成功し、それをソ連が後を追っていくという時代になります。水爆になってくるとシェルターに隠れいているだけで大丈夫か?と。これはもう人類滅亡の危機であって本当に核戦争が起きたら何処かに隠れていれば生き残るなどという「民間防衛」のキャンペーンなどで済むレベルではないと。
「もう誰も助からないんだ」という考えが1950年代後半から世の中に広がっていったそうです。終末が近い、第三次世界大戦で皆んな死ぬんだという気分を表した1959年の歌。
團伊玖磨「世界大戦争」
第三次世界大戦で人類が滅亡するという映画が作られたそうです。1961年に作られた大作。「世界最後の日」は核ミサイルが飛び交って人類が死滅していく場面。エンディングは「お正月」が流れますが、第三次世界大戦が年末に起こるのでお正月を楽しみしていたら皆んな死んでしまったという映画だそうです。人類が滅亡しないようにこの映画を観た人は考え直しましょうというメッセージが最後に字幕が出るそうです。
1962年キューバ危機で世界大戦争が起こるギリギリのところまでいきます。
いつ米ソが核ミサイルを撃ち合うことが起こるかもしれない、キューバ危機が再現される可能性があるという恐怖の中で世界の人が生きている時代。
サミー・サルヴォ「きのこ雲」
1964年アメリカのポップソング。「僕はアメリカで幸せに生きている。家族も恋人も順調なんだ。ハッピーなんだ。でも、きのこ雲が僕を不安にさせるんだ。」という歌。典型的な第三次世界大戦歌謡だそうです。
こういう気分がずっと続いて1970年代に入っていくそうです。
1970年に入ると核戦争だけでなく、公害問題、地球環境の異変、原発事故への恐怖などが加わり終末のイメージは増殖していきます。
冨田勲「ノストラダムスの大予言」
1974年の映画「ノストラダムスの大予言」のサウンドトラック。
この映画では第三次世界大戦で人類が滅亡するという場面が含まれてるそうです。片山先生はこの映画を観て「もう自分が大人になる頃には、いや大人にはならないんじゃないか」と思ったそうです。
1980年代に入ってソ連がアメリカに対して軍事的に優位に立ったという時期があったそうです。核兵器は均衡しているが、通常の軍備でソ連がヨーロッパや日本に侵攻してきた場合、誰にも止められなくなって、核を使うと終わってしまうから使えず、戦車などで日本もヨーロッパもソ連に占領されてしまうのではないかと。第三次世界大戦の核戦争でないバージョンのイメージが高まってきたそうです。
そこへアメリカのレーガン大統領が登場してきて圧倒的軍事力でソ連を黙らせる軍拡路線となり、日本の中曽根首相もそれを指示しているかのような状況になり、緊張が高まっていく時代が続きます。反核の音楽が1980年半ばからそれまで以上に作られるようになります。
片山先生と私はそんなに年齢変わらないのですが、子供の頃そんなに人類滅亡しそうな感じ、第三次世界大戦が起こりそうな感じは私は感じていなかったので、この番組を聴いてすごく衝撃を受けました。そんな危険な時代に少年期を送っていたのかと・・