ジンジャー・ベイカー(Ginger Baker)追悼特集
10月6日に80歳で亡くなったジンジャー・ベイカー(Ginger Baker)の追悼でした。
べらんめえ調でかなり口が悪い人という印象がバラカンさんはあるそうですが、私もそんな印象です。ドラムの上手い職人堅気だけど人付き合いは上手くないみたいなイメージですね。
ジンジャー・ベイカーは労働者階級の出身。1939年第二次世界大戦が始まる年ロンドンの南側のルイシャムというところで生まれます。お父さんは建設現場でレンガを積む仕事をしていましたが、戦時中のジンジャーが4歳の時に亡くなってしまいます。
ちなみにジンジャーという名前は、男性でも女性でも赤毛の人がニックネームで呼ばれるそうで、本名はピーターだそうです。
自転車の選手としてツールドフランスに参加するのが夢だったそうで、真剣に自転車の練習をしていたそうです。背が高くて、細いので自転車に向くタイプだったそうです。しかし、1956年の雨の日16歳のジンジャーはタクシーとぶつかって自転車はグチャグチャ、彼も怪我をしました。その後自転車はやめてしまって、ある時パーティで友達に勧められてドラムをちょっと叩いてみたら、いきなりなのにベース・ドラムからシンバルからハイハットから全部自然にできたそうです。それからドラムをやり始めて1年以内にプロとして当時イギリスで流行っていたトラッド・ジャズ(ニューオリンズ・スタイルのジャズ)のバンドで演奏していたそうです。同時にモダン・ジャズの影響もかなり受けていてマックス・ローチ(Max Roach)とかエルヴィン・ジョーンズ(Elvin Jones)など先進的な活動をしていた人たちの影響を受けたそうです。
1960年代初頭R&Bがイギリスで流行っているという程ではなかったそうですが、アレクシス・コーナー(Alexis Korner)という人がロンドンの西側のイーリングというところでブルーズ・クラブをやっていました。メンバーはしょっちゅう変わっていたそうで、ジンジャーがある時ドラマーとなるそうです。その時の他のメンバーは、キーボード:グレアム・ボンド(Graham・Bond)、ベース:ジャック・ブルース(Jack Bruce)、テナーサックス:ディック・ヘクストール・スミス(Dick Heckstall-Smith)です。
ジンジャーの前のドラマーは、チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)だったそうです。ミック・ジャガー(Mick Jagger)が見に来たこともあるそうで、その時ジンジャーとブルースはわざと複雑なジャズのフレーズをやってミックをビビらせたそうです。
Alexis Korner「Rockin」
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次も同じメンバー、グレアム・ボンド、ジャック・ブルース、ディック・ヘクストール・スミスと一緒にグレアム・ボンド・オーガニゼーション(Graham Bond Organisation)というグループを新たに組みます。これはR&Bバンドで、1965年に2枚アルバムを出します。
Graham Bond Organisation「Spanish Blues」
R&Bバンドですがジャズ寄りのバンドで、ジンジャーのドラムもスイング感があります。
SOUND OF '65 / THERE'S A BOND BETWEEN US
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Graham Bond Organisation「Camels and Elephants 」
2作目のアルバムから唯一ジンジャーが作曲した曲。
There is a Bond Between us by Graham Bond Organisation (2008-05-13)
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グレアム・ボンド・オーガニゼーションは音楽は素晴らしいが色々と問題を抱えるバンドだったそうです。グレアム・ボンドというリーダーは、ヘロイン中毒だったそうです。ジンジャー・ベイカーもそうでした。
グレアム・ボンドは中毒の度合いが特に酷く、途中でグループのリーダー役を務めることができなくなり、ジンジャー・ベイカーが実質的にこのグループのリーダとなったそうです。
ジンジャーとベースのジャック・ブルースは、音楽的な愛称はいいけども、人間的に喧嘩が多く、ある時演奏中にジンジャー・ベイカーがジャック・ブルースの頭をドラムスティックで叩いて、演奏中に殴り合いの喧嘩になってしまうようなことがあったそうです。それで、ジンジャーがリーダーになった時に、ジャック・ブルースをクビにしてしまったそうです。
その少し後1966年初頭に、エリック・クラプトンとセッションをやります。エリック・クラプトンがジョン・メイオール・ブルースブレイカーズを離れようとしている時です。ジンジャー・ベイカーはエリック・クラプトンを誘ってグループを作ろうと言います。エリック・クラプトンは「いいよ、やろう」と言うのですが、ベースにジャック・ブルースを入れようと提案するそうです。エリック・クラプトンはジンジャー・ベイカーとジャック・ブルースの演奏を前に見ていいて、相性がすごくいいと思っていたそうです。エリックがそう言うので、ジンジャーも仕方ないと思ったのでしょう。エリック、ジンジャー、ジャック・ブルースの3人でクリーム(Cream)が出来ます。
Cream「Tales of Brave Ulysses」
エリック・クラプトンとマーティン・シャープ(Martin Sharp)の作曲。
クリームはジャック・ブルースとピート・ブラウン(Pete Brown)の作曲の曲が多いです。
ジンジャー・ベイカーはクリームではベース・ドラムを2つ使って、とにかく音が大きい。ヘビー・ロックのような感じがあるのですが、本人は「俺はロックなんかやったことがない。クリームはジャズ・ミュージシャン二人にブルーズのエリック・クラプトンを加えて殆どの即興で演っていた。二日連続で同じ演奏をしたことはない。」と言っていたそうです。
Cream「Sunshine Of Your Love」
この曲はリズムが全然定まらなくて、スタジオのテレビで放映されたいた西部劇からヒントを得て、インディアンのリズムで演ってみたそうです。ジンジャー・ベイカーの役割が大きな曲です。
「クリームがヘビー・メタルの生みの親だと言う人がいるけど、もしそうだったら中絶した方が良かった」とジンジャー・ベイカーは言っていたそうです。それくらい彼はジャズを演っているつもりだったそうです。
ジンジャーとジャック・ブルースの不仲は続きます。クリームでは、ジャック・ブルースとピート・ブラウンの曲が多くて、ジンジャーはもっと作曲のクレジットも与えられて当たり前だと思っていたそうです。作曲印税をもらえなかったことに関しては一生許さないと言っていたそうです・・一度ジンジャーにクビにされたジャック・ブルースは今度はジンジャーをクビにしようとしたそうです・・とにかく3人の仲がよくなかったようで結局2年くらいしか持たなかったそうです。1968年にロイヤル・アルバートホールでさよならコンサートを演って、その翌年にエリック・クラプトンがスティーブ・ウィンウッドを誘ってブラインド・フェイス(Blind Faith)というバンドを作ります。
最初のリハーサルの時に招かれもしないジンジャー・ベイカーが現れて俺も混ぜてくれと言って現れたそうです。スティーブ・ウィンウッドはドラムが上手だからと喜んでいたようですが、クラプトンは「う〜ん」と言う感じだったそうです。ジンジャーの性格だったのか、ドラッグの問題だったのか。ブラインド・フェイスも1年で解散となります。
Blind Faith「Had To Cry Today」
ジンジャー・ベイカーはヘロインを29回やめていると本人が発言しているそうです。
そのうちの一つがジミ・ヘンドリックスが亡くなった日だったそうです。1970年9月。
彼もドラッグを打ちすぎて、死にそうになったそうで・・80歳まで生きられたのはすごいなぁと思います。
クラプトンはFacebookにジンジャーへの追悼で2005年5月にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行ったクリーム再結成ライヴの映像を載せています。ジャック・ブルースも2014年に亡くなってしまっています。寂しいですね。