ラジオと音楽

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ジャズ・トゥナイト 2019年8月10日


生誕90周年 ビル・エヴァンス

今回は「ビル・エヴァンス」の特集。8月16日はビル・エヴァンスの90回目の誕生日だそうです。大友さん見られて感動したという伝記映画も上映されています。

 

 

 ビル・エヴァンスは1929年8月16日ニュージャージー州生まれ。ロシア系の母親とイギリス ウェールズ系の父親のもとに生まれました。幼少期からピアノを弾いていたそうです。母親の影響でロシア系の音楽、チャイコフスキーとかストラヴィンスキーを聴くだけでなく演奏もしていたそうです。2歳上のお兄さんがいて、お兄さんもピアノを演奏して良き理解者だったそうです。

10代から地元のジャズバンドで演奏を始めます。最初はクラシックの音楽だったのですが、だんだんジャズに惹かれていきます。サウスイースタンルイジアナ大学で音楽を学びます。その後兵役へ2年間行って、1954年にニューヨークに進出、本格的にジャズピアニストとして活動を開始します。

1956年ジョージ・ラッセルがオリジナル作品で自らの理論を実践したファースト・アルバム「ジャズ・ワークショップ feat.ビル・エヴァンス」から。まだ無名のビル・エヴァンスの凄いピアノの演奏が聴けます。

 

George Russell、Bill Evans「Concerto for Billy The Kid(Alternate Take)」

ジャズ・ワークショップ +2

ジャズ・ワークショップ +2

 

 

1956年「New Jazz Conceptions」というファースト・アルバムを録音します。1958年マイルス・デイヴィスのバンドにも加わります。1958年12月にセカンド・アルバム「Everybody Digs Bill Evans」を録音します。

 

「Peace Piece」の大友さん解説。

この曲はコードが進行しない。マイルスが言っているモード・ジャズのほぼ完成形。左手は同じことを繰り返す。上の方はコードの中の音だけではなくて、後々ビル・エヴァンスがやらないような実験もしていて、むしろ後々のビル・エヴァンス以上に物凄く冒険している。コードの中でフレージングを紡ぎ出すだけではなくて、音色とかコードとの距離とかで演奏している。ピアノの音色って誰が弾いても一緒だろうと思うかもしれないが、物凄く違っていて、ビル・エヴァンスのタッチとかで作る音色の素晴らしさ。ピアノは弦楽器、弦が鳴っているんだというピアノのチューニング含めて聴ける見事な演奏だと思う。

  

Bill Evans「Peace Piece」

エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス+1

エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス+1

 

 

 1959年3月にはマイルスの「Kind of Blue」を録音します。マイルスの目指すものとシンクロしています。そして天才ベーシストと言われたスコット・ラファロ(Scott La Faro)と出会います。ドラマーのポール・モチアンPaul Motian)とは既に出会っていて、これが歴史に名を刻む初代ビル・エヴァンス・トリオに結びついていきます。

 

「Waltz for Debby」の大友さん解説。

「Peace Piece」はコードが進行しないモードジャズ的なものだったが、「Waltz for Debby」はコードが進行しまくる。最初は3拍子で次々コードが進行してキーも変わっていく。ビバップのようなアドリブだが、ビル・エヴァンスの凄いところはマッチョにならないところ。「Peace Piece」でやったような凄い繊細な音色でのアプローチとこのコードがどんどん進行していくものが見事に一体化している。通常はベースとドラムは伴奏にまわってピアノがアドリブをとるのだが、スコット・ラファロの演奏がピアノの低音のように動いていく。ポール・モチアンのドラムも然り。新しい形のインタープレイの始まり、ジャズ史上初めてと言ってもいいのではないか。

 

 

スコット・ラファロはこのライブのわずか11日後、交通事故でなくなってしまいます。わずか25歳でした。ビル・エヴァンスはあまりものショックに半年ほど演奏が出来なかったそうです。

 

Bill Evans、Scott La Faro、Paul Motian「Waltz for Debby」

Waltz for Debby

Waltz for Debby

 

 

1962年ジム・ホールJim Hall)と「Undercorrent」を録音します。

Bill EvansJim Hall「Romaine」

 

Undercurrent + 6

Undercurrent + 6

 

 

1963年ビル・エヴァンスは初めてのソロ・アルバムの制作に取りかかります。当時としては実験的なオーバー・ダビングをします。タイトルは「Conversations With Myself(自己との対話)」。映画「Spartacus」の主題曲としてヒットしました。

 

Bill Evans「SpartacusーLove Theme」

Conversations With Myself...

Conversations With Myself...

 

 

1964年にスタン・ゲッツStan Getz)と録音します。

 

Bill EvansStan GetzRon CarterElvin Jones「Night And Day」

スタン・ゲッツ&ビル・エヴァンス +5

スタン・ゲッツ&ビル・エヴァンス +5

 

 

スコット・ラファロ亡き後トリオのメンバーを探し続けます。1966年長く一緒に共演するベーシストを見つけます。当時22歳のエディ・ゴメス(Eddie Gomez)です。そして1968年当時24歳のドラマー マーティ・モレル(Marty Morel)がトリオのメンバーに加わってビル・エヴァンス・トリオとしては一番長いトリオとなります。

 

1973年1月20日ビル・エヴァンスが初来日します。場所は東京郵便貯金ホール。

来日公演の後、ビル・エヴァンスには非常に不幸な出来事と幸せな出来事が起こった年となります。長年連れ添った夫人のエレインと別れて、新たな恋人ネネットといっしょになります。エレインはそのショックからニューヨークの地下鉄に投身自殺をします。なのにビル・エヴァンスはネネットと結婚します。子供も授かります。ずっと子供が欲しかったらしいです。幸せな時期を過ごすことになります。これがなかったらビル・エヴァンスはこの先10年生きられなかっただろうと言われています。一時長年常習していた麻薬も止めることができたのですが、またこの後手を出してしまい家庭が崩壊していきます。

 

Bill Evans、Eddie Gomez、Marty Morell「My Romance」

ライヴ・イン・トーキョー(期間生産限定盤)

ライヴ・イン・トーキョー(期間生産限定盤)

 

 

1975年ドラマーのマーティ・モレルの後継にエリオット・ジグムンド(Eliot Zigmund)を迎えます。1977年ハリウッドで録音された「You Must Believe in Spring」というアルバムから投身自殺をしたエレインに捧げる曲。

 

Bill Evans、Eddie Gomez、Eliot Zigmund「B Minor Waltz(For Ellaine)」

You Must Believe in Spring

You Must Believe in Spring

 

 

最後にビル・エヴァンスがこの世を去る2年前の1978年に出たアルバム「Affinity」から。

 

Bill Evans、Toots Thielmans、Marc Johnson、Eliot Zigmund「This Is All I Ask」

Affinity

Affinity

 

 

1980年9月15日ビル・エヴァンスはこの世を去ります。麻薬が原因で内臓を壊してしまいました。51歳。写真を見るともっと年上に見えます。麻薬との戦いとの人生でもありました。

大友さん曰く「麻薬で演奏が良くなることはない。ビル・エヴァンスがもし麻薬をやっていなかったら、繊細な演奏を晩年まで続けられたんじゃないかと。もしかしたら今も90歳で演っていたかもしれませんよね。」