今日は6月6日に亡くなったドクター・ジョン(Dr. John)の追悼特集です。
山下達郎サンデーソングブック、細野晴臣 Daisy Holiday!でもドクター・ジョンの追悼で曲かけてました。多くの方々に影響を与えたニューオリンズの重鎮。
バラカンさんはラジオの仕事を始める前からずっとドクター・ジョンの音楽を聴いていて、ラジオで誰よりも多く彼の音楽をかけてきているので、色んな角度からもっともっと細かく彼のことを取り上げたいそうです。なのでこの1回でなく、小特集を何度も何度も繰り返すそうです。今日はリクエストだけでいくそうです。
ドクター・ジョンという芸名(本名はマック・レベナック)は、彼が昔ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が書いた本の中にドクター・ジョンというヴードゥー教の司祭のことを読んでいて、その人が何と自分の先祖だと思われるポーリン・レベラックという人と関係があるということが分かって親近感を持っていた。そして、ニューオリンズはハイチに近く、ハイチの影響でヴードゥー教の信者がかなり昔も今もそこそこいると思う。特に女性達にリスペクトの気持ちを持っていてドクター・ジョンは名乗るようになったということ。
「Iko Iko」 Dr. John
アトランティックレコードの重役だったジェリー・ウェクスラーはマイアミのスタジオに来て昔のニューオリンズの音楽の話をドクター・ジョンと始めた。ジェリー・ウェクスラーがドクター・ジョンの話を全部録音して、そういう感じの音楽をアルバムしていこうとなっていったそうです。それが「Gumbo」というアルバムになります。
ドクター・ジョンが昔のニューオリンズのリズム&ブルースをレコードにしようと自発的に考えた訳ではなく、ジェリー・ウェクスラーとのやり取りでやることになったそうです。結果的にドクター・ジョンのそれ以降のキャリアを決定づけるような瞬間となりました。「Gumbo」がきっかけとなって、ニューオリンズの過去のリズム&ブルースを圧倒的多くの人が初めて知ることになったということです。リクエストが多かったのがこの「Gumbo」の1曲目「Iko Iko」だそうです。山下達郎さんもかけてましたね。
このリズムの渦、シンコペーション、多分誰もほとんど聴いたことのないようものだったそうです。1972年というのは50年代のロックンロールとかリズム&ブルースの復刻アルバムは殆ど無かった時代だそうです。60年代ビートルズなどの音楽と共に成長したバラカンさん世代はその都度新しいレコードを聴いていて、過去のレコードを聴いていこうという気持ちが少しは起きてきたそうです。でもアメリカのリズム&ブルースの情報がそんなに簡単に手に入る時代ではなかったし、一生懸命探す人も滅多にいなかったそうです。70年代に入ると50'sのリズム&ブルースのベスト盤だったり、コンピュレーションだったりを聴く風潮が始まったそうです。ちょうどその時に「Gumbo」が出て一気に皆んなが、このアルバムの中で彼が取り上げている、例えば「Huey Smith」とか「Earl King」とか「Professor Longhair」とかそういった人たちの名前が出てくる訳ですね。初めて聴きます。ドクター・ジョンとジェリー・ウェクスラーの会話を文字起こししたものがアルバムのライナーノーツとして1枚の紙が入っていて、それを読んでいると興味が尽きない。ということでニューオリンズがどんどん注目されるようになります。
「Gumbo」の翌年1973年に「In The Right Place」というアルバムを出します。ニューオリンズのもう一人の名人「 アラン・トゥーサン(Allen Toussaint )」がプロデューサーを努めて、ニューオリンズの最高のファンクバンド「 ミーターズ(The Meters)」がバックバンドという完全なドリーム・チームによるアルバム。「Right Place Wrong Time」は、ドクター・ジョンの最大のヒット曲だそうです。
「Such A Night」 Dr. John
最も多くのリクエストがあった曲だそうです。The Band「Last Waltz」の映画を見て初めてドクター・ジョンの姿を見た人は多いと思います。私もその一人です。
The Bandの解散コンサートは1976年。リクエストの殆どが「Last Waltz」のバージョンでということだったそうです。